2021年1日目 「あけました」

新年あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いします。

あけましたね、年。
2021年。めちゃめちゃ未来みたいな数字ですね。
僕たちは今そこにいるわけですが、なんだかまだ落ち着きません。

ブログはまたずっと間が空いてしまいましたが、書いて行こうと思います。

2020年
僕は動き回る一年にしようと決めていました。
2019年の後半に出たツアー「kyaoちゃんとの四国地方」「ワゴンメンバーたちとの中国地方」
このふたつを通じて、まだ見ぬ土地にも待っていてくれる人がいること、初めましての方にも自分の音楽、ライブが伝わることを改めて教えてもらったからです。
年間のツアースケジュールも1月の時点で秋まで決まっていたし、リリースも3作品控えていました。
とにかく気合いが入っていて、這いずり回ってでもやってやる、自分の音楽を届けに行く、一人でも必要だと思ってくれる人に出会いに行く、何より「あんたはいなくなっていい人じゃない、そんな人いない」って、目を見て言いたかった。

2月末、3月からのツアーに控えてレコーディングが終了した頃、感染症が流行っているというニュース。
嫌な予感がぞわぞわしてきて、すぐにツアー相手だった仲間たちに連絡。
まだ世間では今ほど大きな問題として取り上げられてなかったことを覚えている。
ただ、コロナウィルスと呼ばれていたそれによって、世の中が変わっしまうように感じた。
恐らくはゾンビ映画の見過ぎなのだ。

ツアーの判断を決めかねているうち、日に日にじわりと染みのように広がる様を見て、僕は全てのツアーのキャンセルを決めた。
これを読んでくれるほど僕に時間を割いてくださる方だから言えますが、年内のツアーは相手の判断に関わらずキャンセルを決めていました。
メジャーはともかく、当時のインディーズ音楽関係ではキャンセルはかなり早い判断だった。
賢い判断ができた、と言いたいのではなく、SNSを見てもそのように動いている人たちは少なかったし、何より音楽仲間にすら過敏じゃないか、と言われた。
意見は割れていない。僕も自分を過敏だと思ったから。
とにかくそのような空気をとても感じた時期。

ただ僕は自分の判断が過敏だとしても、「僕を好きで集まってくれる人たち」へのリスクを下げたかった。
それは空席を置いて人の居場所を肯定することが全ての人間にとって、他の考えが入り込む余地のないほど絶対的な気持ちだった。
物が落ちたら拾おうとする、トイレから出る前にお尻を拭く、歯を磨く時は奥歯も磨く、それくらい自然で抗えない習慣のような。

そうして僕は籠城することに決めた。

すぐにマンションを借りて、スタッフや友達とDIYスタジオを設計して、工事に取り掛かった。
もはや恥ずかしくもないほど僕の音楽人生で、裕福だった時期はない。貯金のある人はそれだけでかっこよく見えた。
材料費だけで20万円を超え、最低限揃えたい機材を含めると30万円以上。
お金をどう工面したかはあえて割愛するが、背に腹は変えられない。
僕は自分の未来に賭けてみることにした。

そうしてスタジオは完成。
スタッフも友達も日曜大工すら未経験の素人なのに、全員本当にがんばってくれた。
スタジオ建設の日々は青春そのもので、今でも毎日思い出す。
みんな本当にありがとう。

そうして完成したスタジオで何をするか考えた。
作曲、レコーディング、練習、それは当たり前として。
そうだ、ライブ配信をしよう。
以前、楽天ライブというサービスで車の中から配信を少しだけやっていたことがある。
僕はもともと根の明るい人間ではないし、機械にもとても疎い。
何より、元がシナリオを演奏するようなバンドをやっていたことも相まって、お客さんと話しながらライブするライブ配信にはかなり消極的で、むしろ否定的な気持ちがあった。
ただそんなちいさな問題は、一歩踏み出して始めた楽天ライブで簡単に覆る。
環境も悪く華のない僕を見てくれる人こそほとんどいなかったが、お客さんと会話しながらライブをするという刺激にやられてしまったのだ。感動した。

しかしその時はなんのかんのと理由をつけてフェードアウト気味になってしまった。
こんなに素晴らしいものなのにやりたいことがこの環境ではできない、と、ちっぽけな言い訳を吐いて。

環境を整えたからこそ、もう言い訳はできない。
自分を一人でも多くの人に知ってもらうための努力からは逃げられない。
こうしてSNSと連動しているツイキャスをやってみることにした。
ツイッターと繋がっているなら、少しは人が見てくれるかもしれない。そんな簡単な気持ちから。

ここからは配信ライブで出会った方々の知るところ。
毎晩僕は感動し、感謝し、いつか直接出会える日を夢見ながら、配信環境をひたすら良くしていくことに躍起になった。
もっと音が良くなれば、もっと画質が良くなれば、もっと届くかもしれない。
演者にも視聴者にも、そんなのどうでもいいという人もいるだろうし、そうかもしれない。
それでも籠城している僕にとっては、表現を通じて直接繋がれるたった一つの場所だった。
人間一人が必死になるには十分すぎるほどの。

今回は割愛するけれど、そこから色々なことが重なって、今、僕はこの文章を綺麗で堅牢なスタジオから書いている。
青春の城、DIYスタジオは取り壊して、今はこのスタジオの装飾や、音楽仲間の防音設備に生まれ変わった。
しかしそのDIYスタジオがなければこのスタジオはなかった、確実に。
レコーディングのお仕事をもらい、人生で初めてのタイアップをもらい、僕は今やっと納得のいく地面の踏み方をしている。
もう逃げられない、言い訳はできない。
「あの頃の自分とは違う」という言葉が、時折、刃のようにキラリと光る。

先日ふとスタッフに「上野友輝はTOT WORKSの奴隷なんだ、あいつからは逃げられない」と冗談で言った。
二人でゲラゲラと笑いながらも、僕は一人フラッシュバックしていた。
15歳の頃、休憩時間サッカーをしていたら急に「歌いたい、歌わないと」と思いやってことのない音楽を始めたこと。
のちに何度も救い上げられ、この命にはきっと意味があると思ったこと。
子供の頃から笑えないようなことばかりで、その度に「僕は神様のおもちゃなんだ、仕方がない」と諦めて言い聞かせてきたこと。
音楽をやめて何もかも順調になった人生、親友も恋人も居て、やっと手に入れた最高に幸せな毎日。でもそこに希望が何一つ見えずまた空席を置いて音楽をする道に戻る時、元恋人が言った「あなたを待ってる人がいる、いってらっしゃい」という言葉と凛とした目。

匂い立つ青臭さに恥ずかしくなってきたけれど、でも全部本当のこと。
どうせ勘違いさ、僕は何も成せない普通の人間。天才でもないし特別な運命も背負ってない。
でも人生なんて勘違いの塊なんだ。
どうせなら死ぬまで勘違いして、自分の信じたことのため、自分を信じてくれる人のため、勘違いしたまま貫き通すバカがいても面白い。そんでいよいよ死ぬ瞬間「あ、違ったかぁ」ってゲラゲラ笑える人生にしてしまおう。
この物語は悲劇じゃない、喜劇なんだ。

成功者でもない31歳の貧乏人でこんな環境を託してもらえるなんて、夢にも思わない。そう、夢にも思ったことがない。
それでももう、これは現実。僕にはもう退路がない。
言い訳するならあとは手足がなくなって喉がちぎれた時くらいだ。

とことんやってやろう。とことん付き合ってやろう。
信念貫いて徹底的に楽しんでやる。

信念あけましておめでとうございます。
本念もよろしくお願いします。

あなたにここにいてほしいひと
TOT WORKS/上野友輝

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